4年くらい前に漫画描いた際には見せた先の数は、「投稿では2社」+「持込み1社」くらいでしたがそれから今まで編集者には一度も見せてません。

そうした理由について説明かいてみます。

ます4年前の「持ち込み」についてさかのぼって書いてみます。

それの中の「持ち込み」の1社である、漫画誌「漫画アクション」への持ち込みで見ていただけまして
内容的には
(※過去記事と少し重複しますけど)

「指摘した修正点を直して提出」あるいは「0から書き直してもいい」
それと最後に言われたのが

.編集会議に、一応出してみます.


言われてましたけど
提出は断って持ち帰る事にしました。理由は「直したくなった」という事でした

終わり際に、
.原稿の住所氏名欄をコピーとります.
言ってコピーとってました。原稿持ち帰られると私への連絡先とかがわからなくなるからですね。
それと帰り際に、
.一度振り返って「期待しています.的な事言っておりました。

これらの対応を言葉通りに受け取りますと、
.修正すれば、それが掲載される可能性が少しはあった.とは思いますが。



私はこの持ち込み時は内心は
自分でも出来がところどころ、不出来な点は自覚してましたので、そんな高い評価にはならないだろうとは思ってました。ので
.自己評価とさほど離れてなかったので落胆とかはしませんでした.

それで当時、向こうに
言われたとこ直してすぐ出そうとしてましたけど、やってるうちに全部、なおしたくなりました。

それでその後、結局、勝手に連載用の脚本も並行して作るんですが。
(長期用制作する理由は長くなるので書きません)

ちなみに長期用のを制作・修正を繰り返しているうちに、それが短編の「読み切り」にもフィードバックされて短編の方も初期からいくと、ほぼ別の話になりました。

上記のフィードバックとは、長編と短編の話がつながっているからされたわけではなくて、基本的な話づくりの能力の変化といいますか。


.数年もやっている理由の一つ.についてですが、やっているうちに漫画の内容づくりは
.やっていく程に伸ばせる能力.と感じたからです。



伸ばせる能力だとしても、検討違いでないか編集者に見てもらいながらの方がいいのではないか?
と思う人もいるかもしれません。

 いったん掲載とかされ始めると、どうしても「締め切り」みたいな感覚ができると思いますが、その締切が設定される事によって良い結果出る人もいるのでしょうが、逆に
.締切に間に合わす意識が高すぎになり進歩していけない人.もたくさんいるのではないかと思っています。

修正の繰り返しで上がるクオリティは目の前のものだけではなく、次作る物にも生かせるものです。
そういう基礎能力の向上につながる修正を意識してやってました。
いったん能力が上がると、前と同じクオリティがより短い時間でできるようになる感じします。


制作において編集者に深くかかわるべきか否か、、は作者個人の性格であったり能力とかで違うと思います。



ネット上でみてますと、掲載までいけた新人の体験話で
.掲載の過程で編集者の指導によって大幅に能力上がる事はなかった.
というようなニュアンス書いてますし、大半はそんな感じだと思います。

要は編集部に大幅な新人育成能力などはない、という事でしょう。

そもそも漫画誌の市場に出ているプロ漫画家のクオリティ見れば、
「編集者と新人の間で何か独学では到底、知りえない特別な指導があって能力の大幅アップがされている、わけではないだろう」いうのが推測できますね。


あとレアな実例で編集者は原作者でもヒット作作るような能力あったのにその指導受けたであろう漫画家の作る物語の出来が凡庸いう例もあるように感じてますし
(実名出すとその漫画家の能力批判になるので書けません)


いろんな実例を見てますと、クオリティは基本は個人の能力差に大きく依存しているもので指導で大幅にあがっているわけではないんだと思いますね。


それで読者アンケートの順位が一定以下だと、編集部内評価が掲載未経験者以下の評価になるらしいので。
(これは昔から推測で思ってましたけど最近、事実だと確認できました)


それを避けるためにクオリティ上げるためです。

ある漫画編集者からの志望者のみなさんへのアドバイスで
.賞や掲載を目標にしないでください。.
志望者が目標にすべきクオリティは連載作家を上回るものだそうで。。


この4年にもわたる修正の繰り返し、などで、どのくらい進歩があったかどうかは、これから試されるわけです。

m_n_07(サッカー漫画-読み切りのネーム

今、描いている漫画。サッカーの読み切りの軽い下描き段階

-----------追記----------

m_k_15(少年ジャンプ漫画賞
上記は週刊少年ジャンプの編集者の意見となります。
ここのブログのコメント欄に「他人に見せて客観的な意見を貰わない意味がない」って意見をしつこく書いてくる人いますが

その人の意見は一見もっともらしい事言っているように聞こえますが偏っています。


理由の一つには、.私が昔、掲載してもらった漫画などは、内容的にはほとんど修正されてない状態に近かった.ですし。
そういう例は漫画界では、実は、そんなにめずらしい事ではないんじゃないですかね。
ジャンプ編集部のツイートで他にも「一人で作った物が傑作になってたケースもある」ってのもありました



.しかし、さんざんダメ出し受けながら掲載もされない、なんて人も、たくさんいるんだとは思います。
そういう層は、おそらく.「他人に見て客観的に修正してもらわないとダメだ、一人で作っていては意味がないんだ」って思いこんでしまうんでしょう。
(思い込む、というよりかは、ほんとは例外があると知っていつつも、嫌がらせでやっているようにも見えますが)

一例だとコメント欄のRHさんて人が、もし過去に「編集者にあまり修正されないまま掲載までいけた体験があれば」きっと、ここまでしつこく「他人に見せないと意味がない」って意見にはならなかったと思います。

失礼ですが、みんな、いろんな点で、条件が違うのに、その前提を無視して自分の体験を基準として「それがみんなにあてはまる」と決めつけたかのような主張をすると、時に偏った意見になりますが、それを心のどこかで自覚しながらも、押し付けようとする行為、
「自尊心がゆがんだ形で出ているんではないか?」とも思ったりもします。

これを私は昔、「挫折者の病」と定義づけました。

こういう人たちに対して必要なのは失礼な言い方ですが、.クリエイター方向のディベートとかではなく精神的なカウンセリング.みたいな事だと思うのです。



荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書) 漫画家志望者に向けて漫画の内容作りのコツみたいな内容らしい